管理人の真弓知也です。人見知りで富士額な男です。よろしくどうぞ。
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【感動実話】 先生 可能性のない人なんていない

アップ主さんの説明

誰にも無限の可能性がある、ということを
伝えてくれる実話です。
感動ドラマがつまっています

管理人のコメント

アップ主さんの説明にありますとおり、今回は感動実話の動画をご紹介しました。

感動で心が温かくなるすばらしいお話です。特に、小学校五年生のわずか一年間の関係であった担任の先生に対して、十年以上経ってなお「母親の席に座って欲しい」とまで感謝するこの方の心の美しさに感動しました。先生はさぞや嬉しかっただろうと思います。

管理人の勝手な想像ですが、これほどまでにこの方が先生対して感謝しているのは、五年生の当時よほど暗い精神世界でさまよっていたからではないかなと思います(もちろん先生の思いやりと優しさあってこそのことだとは思います)。

一生懸命の看病の甲斐も無くお母さんの病気が悪化していくさまを、わずか10歳にも満たない少年が見続ける精神的な苦痛はどれほどであっただろうかと、想像するだけで胸がいたくなります。しかもその果てにお母さんは死亡。数年の看病の間、この方はどれほどお母さんの回復を願い続けたでしょう。そしてお母さんとの別れはどれほど辛く、悲しく、淋しいものだったでしょうか。

その悲しみの末に待っていたのは、日々アルコールに犯されていく父親の姿。そしてその暴力。とても小学生が一人で背負いきれる苦悩ではなかったであろうと思います。そんな苦悩の中にいる少年にとって、先生の思いやりと優しさはどれほど温かく感じられたでしょうか。

もしかすると、先生にとってはそれほど大げさな親切ではなくほんのわずかの優しさだったのかもしれません。けれど、元々人が人に対してしてあげられることなどそんなに多くはありません。管理人は、かつて鬱の女性とお付き合いしたことがあります。その女性の生活は、金銭面、家事全般、買い物、服選び、精神のケア、果ては髪のセットにいたるまですべて管理人に依存した状態でした。なぜそこまで依存していたかというと、彼女はコンビにの弁当を自分で選ぶという普通の人にとってはごく普通の決断すらできない精神状態だったからです。

仕事で残業を続け、帰宅してからはその女性の面倒を見ながら、夜中、朝方まで心の悩みについて話し合うという生活は精神的にも肉体的にもかなりハードでした。そんな生活の中で心の底から思い知ったことが1つあります。それは、「人間というものは、自分一人分しか背負えない生き物だ」ということです。

よくドラマなどで、男性が妻に向かって「誰に飯食わせてもらってると思ってるんだ」なんて言っているシーンなどがありますが、確かに家にお金を入れる立場に立つと、多かれ少なかれそんな気持ちになることはあります。そして、その家庭の全てを自分一人で背負っているような気になります。

でも、現実に人が人の人生を完全に背負うというのはそんなに容易なことではないように思います。もし自分が誰かの人生を背負って生きているような気になったとしたら、それはただの思い上がりと勘違いの産物ではないでしょうか。よく、介護疲れで自殺する方なんかがいらっしゃいますが、人間一人分の人生を背負うということは並大抵なことではありません。

だから、元々人が人に対してできることなどたかが知れたことなんだろうと思います。でも、この動画の物語のように、放課後に勉強を教えてあげるという、できる範囲の優しさ、できる範囲の思いやりが人の人生を救うこともあります。赤十字のPV動画をご紹介したページでも書いたことですが、「行為の小ささを恥じて善意をしまい込む必要はないのだ」と、この動画を見てあらためてそう感じました。どんな小さな思いやりでも、胸にしまい込んでしまいこまなければ、その小さな善意はもしかしたら「誰かの人生を救うかもしれないな」などと思います。

では今回はこのへんで。赤十字のPV動画はこちらです>>