管理人の真弓知也です。人見知りで富士額な男です。よろしくどうぞ。
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強く生きるものたちの言葉 スポーツ

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管理人のコメント

今回は奮起系の動画をご紹介します。

見てのとおり、さまざまなスポーツの世界の第一線で活躍されている、またはされていた方の名言を集めたものですが、どの言葉もその方のスポーツ人生という背景を感じさせてくれます。やはり、行動がともなった上で生まれた言葉には「説得力があるなあ」と思いました。

野茂さんの「100勝ぐらいで満足するためにメジャーに来たわけではない」という言葉。しびれましたね、かっこいいです。でも管理人はそれ以上に沢村投手の言葉に共感しました。

でもYou Tubeでは沢村投手の言葉にコメントしている方はいませんでしたね。管理人の感性がズレてるんですかね? 「人に負けるな。どんな仕事をしても勝て。しかし堂々とだ」いい言葉だと思うんですけど…。

なんていうか、戦争の時代に生きた人ならではの骨太の精神を感じます。あっそういえばこれ読んでらっしゃる方の中に「沢村投手って誰?」っていう方も多いかもしれませんのでちょっと解説します。

沢村 栄治(さわむら えいじ)1917年2月1日生まれ。出身は三重県宇治山田市(現・伊勢市)。

プロ野球リーグ開始年(1936年)の秋に初のノーヒットノーラン達成。優勝決定戦(対タイガース)には3連投し、巨人初優勝の原動力となる。1937年春には、24勝をあげてMVPに選出される(プロ野球界初)。

大学野球全盛の時代に日本のプロ野球リーグ立ち上げが軌道にのったのは、短い期間に数々の記録(3度のノーヒットノーラン含む)を打ち立てた沢村栄治投手の功績に負うところが大きいと言われています。

しかし彼は、最初の徴兵で赴いた戦地にて、野球ボールの三倍の重量の手榴弾を投げさせられて肩の状態が悪化。左手にも銃弾貫通の負傷おった上マラリアなどにも感染し、それらの後遺症からかプロ野球復帰後に何度か球場で倒れ、とうとう豪快だったオーバースローからの投球ができなくなってしまいました。

自慢の速球という一番の武器を失った沢村投手ですが、それでも不屈の闘志は衰えずコントロール主体のピッチングを続け、ついには三度目のノーヒットノーランを達成。

二度目の徴兵の後は、最後の武器であったコントロールすら失ってしまい、1944年に巨人軍を解雇。プロ野球リーグ自体も沢村投手と運命を共にするかのように、同年戦局の悪化から活動を中断。

その後三度目の徴収で軍務についていた沢村投手は、1944年12月2日、乗船していた輸送船が米潜水艦シーデビルにより撃沈されて戦死。享年27歳でした。

プロ野球通算63勝22敗、防御率1.74。1947年、沢村投手の背番号14はプロ野球史上の永久欠番に指定され、同年彼の功績を称え“沢村栄治賞”が設立されました。

参考資料:ウィキペディア‐沢村栄治

なんとゆう激烈な人生でしょうか、この人生をふまえた上であの言葉を最後にもう一度。

「人に負けるな。どんな仕事をしても勝て。しかし堂々とだ」

感動的です。なんだか泣けてきます。