管理人の真弓知也です。人見知りで富士額な男です。よろしくどうぞ。
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感動CM臓器提供

アップ主さんの説明

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管理人のコメント

今回は、犬くん主演の心に響く癒しCMです。

このCMは見てのとおり臓器提供を呼びかけるCMのようですが、胸がキュッとしめつけられるような感動をおぼえます。それにしてもこの犬くんは名優ですね。ご主人を亡くした悲しみをものの見事に表現しています。

管理人は臓器提供というものに関しては勉強不足なものでよくわからないのですが、このCMを見ていると「もし自分が死んだらドナーになろう」という気持ちになりました。

そういえば先月たまたま、Twitterを利用したリアルタイムQ&Aサービスの“Q&Aなう”の質問で「臓器提供すると来世に生まれ変わった時その臓器が無い状態で生まれるのを知ってる?」という意味合いの質問(質問というよりつぶやきですね)をみかけました。

臓器移植に関しては、脳死を人の死ととらえてよいのか? 宗教的な見地からはどう見るか? などなど、色々と賛否両論あるようですが…。

仏教的には「臓器移植で命が助かるということは運命にさからうことだ」という考えもあるようですが、うーん… でも、

医学や臓器移植も含めて運命じゃないかなあ…

という気がします。

例えば、運命というものが本当にこの世にあるとして、それを決める存在、もしくはシステムというか必然性のようなものが本当にあるとしたら(例えばの話です)、それらにとって医学の存在は、はたしてイレギュラーなのでしょうか? 管理人は運命というような超越的な大きな力がもし仮にこの世に存在するとしたならば、それらからみれば医学の発展も臓器移植という技術の誕生も、しょせんは人間社会の運命だったにすぎないと考えるほうが自然な気がします。

そもそも、ものごとに執着してはいけませんよと教えたお釈迦様の弟子である仏教徒が、どのような過程で死を迎える時期が決まったかに執着してアレコレ論議するのもおかしな話のような気がします。それに、あくまで仏教的な視点からみたときの話ですが、臓器提供をどうこうすることで、人間ごときが運命をアレコレ操作しているような気になることのほうがちょっと傲慢というものではないでしょうか。

だいぶわかりにくいことを言っているような気もしますが(笑)、ものすごく簡単にいうと、要するに「ごちゃごちゃ言うのは本分と違うのでは?」ということですね。

生きたの死んだの、移植したのしないだの、脳死がどうだこうだ。そんなのは今もっている価値観に執着しているからこそ生まれる議論ではないでしょうか。それらは仏教徒の本分ではないのでは? そんなふうに思います。

ずいぶん話が仏教寄りの横道にそれましたが、この記事の本分は切ない感動CMのご紹介でした(笑)。おすすめです。