人生の素敵なことは、大体最後のほうに起こる。
今回は「人生の大切さ」のようなものを訴えるCMのご紹介です。
管理人はこれをはじめて見たときは感動して涙を流しました。「なぜ泣いたのか?」と聞かれれば、理由はよく分からないんですが、なんだか心に突き刺さったんですね。もしかすると、管理人自身が過去に何度も自殺を考えた経験を持つ人間だから感動したのかもしれません。
実はこのCMは、2005年度に行われた「第45回 ACC CMフェスティバル」でブロンズを受賞した作品なんですね。賞を受賞したからというわけではありませんが、とても良いCMだと思います。なんていうか抑止力と言いますか、自殺を考えている人間を思いとどまらせる力のようなものがあるんですよね。
死のうと思っている人間を思い止まらせる言葉ってとても少ないんですよね。管理人は、もし自分の目の前に死を考えている人間がいたとき、自分自身がどんな言葉をかけてあげるべきかと考えたことがあるんですが思い浮かばなかったです。なんと言いますか、どんな言葉も届きそうにない感じがするんですね。自分が死を考えた経験者なので、それがリアルに分かります。
そういった意味でこのCMは素晴らしいと思うんです。でもこれ当時クレームが多くて、それが原因で放送しなくなっちゃったんですよね。クレームの内容はについては、ちょっと情報が少なくて正確なところはよく分からないんですが、なにやら「こういう問題におとぎ話のパロディなんて不謹慎」というような意味のものだったらしいです。
正直、とても的外れな意見だと思うんです。「それは誰のための意見で、何に対して不謹慎なの?」という感じがします。もし、当時このCMが放送され続けていたとしたら、それによって死を思い止まった人が、日本全国に何人かは確実にいると思うんです。
実際、YouTubeにも「このCMを見て自殺を思い止まった」という方のコメントがついていました。下記がそのコメントです。
このCM・・・・
前、見ました。
自分も、いじめられてて、自殺を考えたことが多々ありました。
しかし、このCMを見て、最後のほうが楽しい。というので、自殺することをやめました。
まだ日本の中に、自殺をする人がたくさんいます。
このCMは流したらだめ?になったので、また流してほしいです。
そうすることにより、自殺する人が減ると思います。
CMに対するクレームは、こうした「もしかすると死を思い止まっていたかもしれない人」たちの命を犠牲にしてまでも押し通さなければならないほどのものだったのでしょうか。
クレームをつけた方にはその人なりの道徳心があってのことなのだろうと思いますが、正義を振りかざす前に、自分の行動の結果を想像する想像力をもって欲しかったなとも思います。
最近、あらゆる事に正義やモラルを振りかざして規制強化を叫ぶ人が増えてきましたが、何事にも良い面と悪い面とがあります。短所は長所、長所は短所です。重箱のスミを突くように、悪い面だけを取り上げれば、裏側の良い面も切り捨てなければなりません。
例えば、最近児童ポルノに対する規制が問題になったりしていますが、ポルノを規制すれば性犯罪が増加するというのは統計データを見ればすぐに分かることです。規制強化派の方々は、そうした事実を隠したり捻じ曲げたりして規制を叫びますが、その行為の動機は本当に人間に対する思いやりなのでしょうか。
もしそうではなくて「ロリコンキモイ」というような差別意識が本当の動機なのだとしたら、彼らは規制後に増加するかもしれない性犯罪被害者になんと言って詫びるつもりなのでしょうか。基本的にロリコンであることは犯罪ではありません。誰も人間の頭の中は裁こうとしてはいけないのです。
例えば「あいつ死ねばいいのに」と思った人は犯罪者ではありません。あいつを殺した人が犯罪者なのです。人間などという生き物は、誰もが聖人君子のように美しく正しい心を持ち続けることはできません。聖人君子のような心でいられないことを責め合えば、この世の人間は全て犯罪者になってしまいます。
テレビなどを見ていると、正しいことを口にしている人の顔が醜く歪んでいるのをよく目にします。管理人は、正義やモラル、道徳、大義といったものは、その根底に思いやりや優しさがあるべきだと思うんです。そうであることが本質だと思うんです。
もしそれが無かったら、そんなのは空っぽの宝石箱じゃないかなぁとか思います。